電報マニュアル・Q&A

電報の歴史について教えて?

日本の電報の歴史は明治時代までさかのぼり、現在でも様々な場面で使われ続けています。しかし、時代の流れと共に電報の形態や使われ方は変わっていきました。また、電報は昔の人々の生活には欠かせない情報伝達手段でもありました。

電報の形態と使用目的

モールス信号機現代における電報は、冠婚葬祭などで使用されることが多くなっています。しかし、現代ほど通信手段がなかった時代は、親類の危篤や重要な出来事を知らせる緊急連絡手段として使われていました 。

明治時代における電報

日本の電報サービスは、1869年(明治2年)東京・横浜間でのやり取りが始まりです。電信機から送られてくるモールス信号を解読し、メッセージを手書きするという方式でしたが、手紙よりも遥かに早い通信手段でした。1875年(明治8年)には、全国で電報が利用できるようになります。それまで電報を送る際は、郵便局で紙にカタカナで電文を書いて送っていたのですが、1890年(明治23年)には電話受付が開始されました。

大正時代における電報

大正時代に入ってからは機械化が進み、1922年(大正11年)にメッセージの文字は手書きからタイプライターに切り替わります。また翌年には印刷電信機が登場し、電報サービスはますます進化していきました。

戦前における電報

1930年(昭和5年)には写真電報の取り扱いが始まり、その後年賀電報や慶弔電報といったサービスが開始され、電報は身近な情報伝達手段となりました。緊急時の連絡には電報を使うことが一般的でした。その当時、電報は文字数によって金額が決められていたので、料金を低く抑えるために、必要最低限の文字数で内容を伝える独特の文体を形成していきました。「チチキトクスクカエレ」や「サクラサク」といったフレーズが有名です。

戦後から現在における電報

戦後には、古くなったモールス通信が廃止され、印刷通信に変更されました。電話機の普及とともに電報の使用頻度は少なくなりますが、メロディ電報や刺しゅう電報など、独自のサービスを展開していきます。1988年(昭和63年)には、カタカナのみの電報にひらがなが加わり、平成に入ってからは漢字も使えるようになりました。緊急連絡手段としては使われなくなりましたが、慶弔行事におけるニーズは根強く、現代でも親しまれています。